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七草粥を作りました

皆さん、

七草がゆは食べられましたか?

せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずな、すずしろ

Kikujoでは、2年生の教養の授業で七草粥を作ります。

日本人が生活の中で作り上げてきた伝統食の文化を継承したいと思います。

写真の後に、七草がゆについて説明を載せておきますので、

ぜひ、ご覧ください。また、一年前は

オーストラリアからの2人の体験入学のgirlsたちと一緒に作りました。

英文と日本文で載せていますので、興味のある方は、

一年前のtopicを探してみてください。

★今年も上手に出来ました。先生方にも振る舞い大好評いただきました。

生徒の皆さん、指導をされた冨田teacher、おごちそうさまでした。

写真;できました。七草がゆ ~ 数学のマドンナ。吹奏楽部顧問の中村teacher ~ 校長室におかゆを運んでくれた生徒さん ~ 今年もおかゆを目の前にして喜ぶわたくし…校長です。

七草粥の由来~人日の節句

七草粥は正月行事として定着していますが、本来は1月7日の「人日(じんじつ)」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句のひとつです。
人日とは文字通り “人の日”という意味で、中国の前漢の時代に、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの占いをたて、8日に穀を占って新年の運勢をみていたことに由来します。さらに唐の時代には、人日の日に「七種菜羹(ななしゅさいのかん/しちしゅのさいこう)」という7種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願うようになりました。羹はあつもの、汁という意味です。また、官吏昇進を1月7日に決めたことから、その日の朝に七種菜羹を食べ、立身出世を願ったといいます。
この風習が奈良時代に日本へ伝わると、年のはじめに若菜を摘んで食べ生命力をいただく「若草摘み」という風習や、7種類の穀物でお粥を作る「七種粥」の風習などと結びつき、「七草粥」に変化していきました。
そして、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められると、人々の間に定着していきました。
また、7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたります。七草粥が定着した背景には、お正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあり、この日に七草粥を食べることで、新年の無病息災を願うようになりました。

※五節句……江戸幕府が定めた式日で、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽をさします。

執筆者:三浦 康子 暮らしの歳時記 ガイドより